戦時中のはなし 5

昭和15-17年の頃

小学、国民学校生のころは、殆ど戸外で一日を過ごしていました。 家の中で過ごした記憶があまりありません。
さすがに冬の寒い時は火鉢のまわりに集まっておしゃべりをしていたようです。
あれだけ一日に色々なことをしたな、と言うほど夏休みの一日は充実していました。

朝のラジオ体操に出席して、直行で川べりの樹の枝にぶら下がって未だ睡眠中のヤンマトンボを物色します。
出来るだけ色の濃い、また翅のすりきれたメスヤンマを捕まえます。 家に持って帰って籠に収めます。
朝ごはんを食べ、夏休みの宿題を少々やると、そのメスヤンマに糸をつけて野原に行きます。
野原ではオスヤンマが虫を捕るべく旋回飛行をしています。草陰に身をひそめて、メスヤンマを頭上で旋回
させます。すると、オスヤンマが交尾のアタックをかけます。ガチャガチャと翅音がして、二匹が地上に落ちます。
そこをすかさずオスを捕まえます。 そのスリルを思う存分楽しむのです。
鳥もちを塗った竹ざおを持って森へ行きます。蝉や、玉虫などを狙います。
タモを持って小川に一連隊で向かいます。年長者がタモを広げて川をせきとめます。年少者たちが川下から裸足で
小魚を追い上げます。それを何べんも何べんも繰り返して、魚がタモに入るまで川の中を歩きます。
夕暮れが迫ると、ヤンマの大群が休息場所の川原をめざして帰ってきます。その群れに向ってモリを投げてヤンマ
を捕獲するのです。小石をパラフィン紙で包んだのを両端に糸で繋いだのがモリなのです。それを空中に投げると
ヤンマが虫と思って掴まえにくるところに糸がかぶさって落ちてくるです。これには相当の技術がいります。
日が暮れてしまうと、縁台を出して団扇をもってめいめい座り、おしゃべりや、花火をしたり、オジーサンの話を
聞いたりします。
地蔵盆のときは、お布施のお菓子が目当てで、おばーさんたちが鐘をならしてあげるお経のような唄に付き合います。

このように、私たちが子供の頃は自然相手の遊びが満ち溢れていました。

但し、学校では、今と違って生徒たちに教師による制裁が容赦なく行われました。
特に、私の担任は若く、師範学校を出て軍隊教育を終えたばかりの青年でした。生徒が悪事を働くと、革のスリッパ
で両頬を殴られました。手加減をしていたのか、殴り方が上手かったのか、これで怪我をした生徒はいませんでした。

戦争が終わって、自然も遊びもなくなっていったようです。