2006-10-01から1ヶ月間の記事一覧

戦争中のはなし12

終戦間近のことども中学3年生から戦時動員令で、学業を中断し、生産性を上げるため、軍需関連の工場で働くことになりました。 学徒動員と呼ばれていました。 胸に自分で作った丸学と呼ばれる、赤の地布に簡易文字の学を墨で書き、それを制服に付けて軍需工…

戦時中のはなし 11

昭和19年から20年 警戒警報と空襲警報の回数が増え、警戒警報発令の間もなく、空襲警報が発令になるようになりました。 不気味なサイレンの断続的に鳴る音を聞いていると、何か奈落の底に引きずり込まれていくような、滅入った 気分にさせられました。 …

戦時中のはなし 10

昭和19年学校では、戦時色が段々深まっていくのが感じられました。 警戒警報、空襲警報の発令回数が次第に増えて きました。 夜間は、玄関下に掘った所謂防空壕に、一家防空頭巾に非常食を抱えてもぐりこみました。 親父殿が乾パンを一個ずつ家族に配ってく…

戦時中のはなし 9

今 東光で有名になった大阪府下の河内から来た転校生の私は、京都の悪がきどもにとっては、格好の いじめの対象ではありました。父親が家族を伴ってくるまでの短期間、私は父の上司の家に厄介になりました。 その家には、早稲田大学の弁論部の長男と立命館大…